幼い私の耳の不調を救ってくれた整体師。
多くの人が心と身体を整え
輝かしい毎日を過ごし続けられるように。

匠STORY

整体師 | AYAKO

プロフィール

AYAKO(あやこ)

整体師

人体を学んで30年以上の経験を生かし「 深層整筋 ® メソッド」を考案。 表舞台に出る人のための「パフォーマンス矯正」を展開し、多くのダンサー、アーティスト、舞台俳優などから厚い信頼を寄せている。また、人間の成り立ち~解剖生理学~美しい姿勢~美しい歩き方などをカリキュラムに取り入れた「AYAKO HOLISTIC BEAUTYスクール」を開講するなどセラピストの育成にも精力的に取り組んでいる。​

Story

―整体に関わるきっかけは、ご自身の「耳」に関することとお聞きしましたが、詳しく教えていただけますか。

実は私、左の耳が全く聞こえないんです。耳が聞こえなくなったのは10歳くらいの時なのですが、それに気づくのが遅かったようで、どこにいっても治す手段がないと診断されたんです。それでも、もしかしたら他に治す方法はあるんじゃないかと思って、色々探し回っていた時に「カイロプラティック」に出会ったんです。詳しく調べてみたら、確かにその方法で難聴が治ったという事例があるのを見つけて、整体院でカイロプラクティックの治療を受けることになりました。耳の治療をきっかけに、カイロプラクティックを知って、より深く学びたいと思ったのがきっかけですね。

 

―耳は突然聞こえなくなったのですか?

気づいたら聞こえなくなっていたという感じでした。聴力検査をした時に「ピー」という音がありますよね?あの音が聞こえなくなっていて。今も普段の会話は、聞こえる方の耳を相手に向けないと周りの音がわんわんと反響して声が拾えないんです。だから、さりげに聞こえる方の耳を相手に向けて立ち位置を変える癖がついていますね。左側が聞こえないから、目の大きさもこっちが大きくなってしまいました。髪は聞こえる方の耳にかけるようにするなど、自分で工夫して日常生活をフォローしています。

 

―そうだったのですね。なんどもお会いしていますが、全く気づきませんでした。

カイロプラクティックで耳が治るというのは、どういう仕組みなのでしょうか?
カイロプラクティックにも色々な宗派があるのですが、どれも脊髄骨の矯正に重点を置いて施術をします。中でも頚椎(首の骨)の一番二番を治すと難聴が良くなると昔から言われていて、カイロプラクティックではその頚椎の矯正を重視した理論で成り立っているんです。この頚椎一番二番ですが、実は、この部分を矯正するとすべての病気が治ると言われるほど身体の中でも大事な部分なんですよ。

 

―首は重要と言いますよね。カイロプラクティックにとどまらず、幅広い知識や技術をお持ちの紀伊国屋さんですが、何かそこに至る理由があるのでしょうか。

はじめはカイロプラクティックの理論から学びました。私の提供しているメソッドは、このカイロプラクティックの理論がベースとなっています。ただ、この理論を学び、自分自身でも施術の経験を重ねていく上で、不調の原因は頚椎だけではないのではないかという疑問が自分の中で湧き出てきたんです。確かに頚椎に着目することは大切だけれども、別のところにも「原因となる何か」が潜んでいるなというのが、実際にたくさんの人の身体をみることで感覚的にわかったんです。それが主な理由ですね。カイロプラクティックに肉付けするような形で様々な分野についても学びを深め、現在のオリジナルメソッドの確立へとつながっていきました。

 

―ご自身の耳の問題から、カイロプラクティックを学び整体の世界へと進まれた紀伊国屋さんですが、思い入れのあるエピソードはありますか?

ええ、あります。耳の治療で整体院には10歳くらいから通い始めたんですけど、その時の先生がとてもカッコいい先生だったんです。私の痛いところをとってくれる魔法使いみたいな先生!と思っていました。先生はいつも、私に魔法の言葉をかけてくれたんです。「聞こえるようになるよ、治るよ。」って。子どもながらに「もしかしたら、私の耳は治らないかもしれない。」と思うことはありました。けれど、先生はそんな私にも優しく言葉をかけてくれたんです。施術だけでなく、おまじないのような安心感を与えてくれたんですね。本当に救われました。それで、私も先生みたいになりたいなと思ったんです。

 

―心のケアもしてくれた先生だったのですね。治療において、整体院と病院とではどのような違いがあるのでしょうか。

症状に対するアプローチの仕方が違っています。私の場合でいうと、お医者さんに行ったら聴力の数値を元に手術することを提案されますが、整体院では症状の奥にある原因にフォーカスします。整体院の先生には、「原因が耳だけではないかもしれないよ」と言われたことがあります。「耳にきている何か」があると。それで私も東洋医学に興味を持つようになり、自分で勉強するようになったんです。
私は4〜5歳の幼稚園の頃、小児腎盂炎を患っていたんです。腎臓が機能せず尿にタンパクが出る病気です。特に右の腎臓が悪かったのですが、そういった影響は身体の反対側に出るということを知りました。まさに左耳の難聴として現れていたんですね。それが分かった時、「人間の体ってすごい!」って思ったんです。自分の身体に起きていること、その仕組みに合点がいったのです。

 

―それ、すごくわかります!自分の身体のことって自分が一番よく分かっていますよね。だからこそ、腑に落ちるという感覚があり、原因が分かった時に「それだ!」って思うんですよね。

そうそう。私は「身体に合点がいく時、それはもう半分くらい治っている」って思うんです。不調の原因が分かるということは、それだけで治癒力が高まることなんだって気づいたんです。
ある舞台役者さんをみたときのことですが、その方は「膝が痛い」というんですね。私は「何をして痛くなったの?」と役者さんの背景を聞き、原因を追求していきました。すると、舞台の階段をよく登り降りすることが判明したんですね。膝が痛くなった原因はそれだと伝えると、「そうかー!」って納得されたんです。膝に負担がかからないような降り方を提案して快方へと向かいました。
このように、膝の痛みだけに着目して炎症を治しても、また舞台に上がれば膝が痛くなってしまいます。それは、本質的な原因を追求できていないから起こることなんですね。

 

―その人の生活の中に不調の原因があるわけですね。

そうなんです。統合的にみるということがとても大事なんですね。だから私のカウンセリングはしつこいですよ(笑)。何で? どうして? 何をした? 何を食べた? ペットは? 家のレイアウトは? なんてね。そこまで追求してこそ原因が見えてくるんです。

 

―なるほど。症状そのものよりも原因を追求することが大事なんですね
紀伊国屋さんのサロンはいつ立ち上げたのですか?
1998年ですね。26歳の頃です。はじめは自分ひとりで。施術用のベットを買うお金がないので、今まで積み立ててきたなけなしの40万の定期を崩して開業資金に充てました。そこから中古のベッドや荷台を買って自宅のリビングで始めたんです。その時は、結婚していて2人の子どもの育児をしながらという状態でした。

 

―なぜ開業しようと思ったのですか?
1995年に阪神・淡路大震災に遭ったのがきっかけですね。震災では家が全焼して、1年間は仮設住宅で生活をしました。そこが立ち退きになり、神戸から大阪に引っ越すことになって、その翌年に開業したんです。当時の神戸では働くというより、もう生活をすることでいっぱいいっぱいでしたね。整体は、18〜20歳の頃に学校のある治療所で学びながら働いていたので技術は持っていたんです。大阪に引っ越した時に開業という選択ができたのは、そのおかげですね。

 

―壮絶な人生を送ってこられたのですね。やはり、技術や知識というのは、その身を救うものなのですね。
そうですね、痛感しました。
うちは祖母がエステティシャン、母がメイクアップアーティスト、叔母が美容師で、それぞれに技術を持っていたんです。実家では祖父が百貨店を営んでいて、カツラやメイク、下着などの専門店が入っていました。ネイルやパーマネント、ヘアカラー、脱毛、美白などの最先端の技術が入ってきた時代で、3歳くらいの頃から美容が身近にある環境で育ちました。それに、母の実家は宮大工で。まさに技術一家。「美ノ匠」を地でいってましたね(笑)

 

―紀伊国屋さんの品の良さは、そういった家庭環境で育まれたものなのですね。

ありがとうございます。母の実家に行くと御膳で食事が出てくるんですよ。古くからの習慣が残っている家で、今でもカンナで削るときの様子やその香りを覚えています。3人兄弟の一番上、長女です。周りからはお姉ちゃん気質と言われます。

―16年間サロンを続けたそうですが、やめたのは何か理由があったのですか?

サロンではスタッフを9名抱える大きな店舗の店長となっていました。私一人で500名くらいのお客様を受け持っていました。今までに述べ3万人くらいは施術したかと思います。ある時、プロ野球選手の方の身体をみる機会があって、それが一般の方の身体と全然違っていて。この身体一つで食っている!この体に命をかけて生きている!というのがものすごく伝わってきたんです。衝撃的な経験でした。プロの世界にいる方々に私が施術をすることで社会貢献につながるんじゃないか!ってその時思ったんです。
サロンでは既にオリジナルのメソッドを確立していたので、スタッフが施術にあたっても安定的に結果が出せるようになっていたんです。それもあって「私にはもっと他にできることがあるんじゃないか」って思うようになったことが理由ですね。

 

―なるほど。そこで、現在のダンサーや役者など表舞台の方をケアするとパフォーマー施術に至るわけですね!

そうなんです!ジムで体を作り込んでいる人やダンスをしている人、自分の身体の動きに敏感な人など、こういった特殊な身体を持つ人は、「パフォーマー矯正」と言われる施術になります。みなさん身体に対する意識が高いからこそ、結果も出るし、施術の効果が倍増するんですね。
パフォーマーの方々が舞台に立った瞬間、観客の反応が違うんです。観ているお客様の反響が私自身に返ってくる、そんな感覚を覚えるんです。もともと、私自身も舞台を見るのが好きですしね。パフォーマーが最高の身体で最高の瞬間を表現することができる、それを支えるのが私の喜びなんだって、気づいたんです。

 

 

―「パフォーマー矯正の綾子!」そんな位置付けですよね(笑)身体に対する意識が高いというのは、自分自身を「商品」にしているからこその感覚ですよね。私も元バレー選手・モデルの経験があるからこそすごくわかります。

舞台の役者さんには、どのうように施術を行うのですか?

まず役者さんに施術する前に、それぞれの役を観察するんです。今この役者さんが何を演じて、原作者さんが何を魅せたいのか。そこを分析した上で身体のコンディションを整えるというサポートをします。もちろん役者さんの衣装もみます。衣装や靴などの大きさや質、重さも影響しますからね。
私は、現場入りしたらまず舞台の神様に挨拶をします。そして、各セクションに挨拶をして、特にメイクさんと衣装さんとは綿密に連携が取れるよう、コミュニケーションをとります。
実際の施術のタイミングは、舞台の始まりと終わりのときです。その間に何十人もみることになるので、だいたい一人5〜10分で対応します。即効力もあり短時間でできる矯正なので現場向きですね。舞台中に筋肉が痙攣を起こす場合もあるので、そういった対応も行っています。

 

―綾子さんのキャラクターや佇まい、醸し出している雰囲気からして、一つのサロンに収まるような人ではないですよね。

そうですか。ありがとうございます。現場では、サロン経営にはない行動力、瞬発力、臨機応変さが求められます。この業界ならではのライブ感やスピード感が自分のパフォーマンスにあっていると感じますね。今、一番自分らしさが発揮できていると感じます。

 

―その力強い言葉から舞台のライブ感が伝わってくるようですね。パフォーマー施術において、何か心がけていることはありますか?

役者さんの施術をするとしたら、まずその方の目標を聞きますね。それは今日の話なのか、数週間後のオーディションなのか、数ヶ月後の舞台なのか、本番までどのくらいの期間が与えられているのかをまず確認し逆算して身体を整えていきます。その理由は、役者それぞれにその時必要としているものが違っているからなんです。私の施術だけでは対応できないこともありますからね。ウォーキングやストレッチ、筋肉トレーニング、カウンセリングなど、必要であれば、私が培ってきた人脈からお医者さんやトレーナー、カウンセラーなどを紹介しています。そういったサポート体制が、役者ひいては舞台全体を支えるチームとして機能すると思うんです。
今関わっている舞台のセリフで「縁が絆になる」といって言葉あって。今の自分にとても響いていい言葉だなって思いました。

 

―素敵ですね。本当に好きで、自分が輝く仕事を見つけた!という感じですね。

そうですね、集大成が始まったなと思います。今48歳ですけどまだまだいける!って感じます。私は、舞台関係者から「あや姐」と呼ばれていて。「あや姐に身体を見てもらえて本当に良かった」 「この魔法が解けないでいてほしい」 「マジックだ!」なんて言われるんです。不思議なことに、行く場所や人が違っても、役者からは同じようなことを言われるんですね。

 

―まさに、紀伊国屋さんがの耳を救った先生と同じような状況ですね!舞台のサポートに臨むときに、何か「自分の支え」としているものがありますか?

迷った時、不安になった時などは「オーラが弾む魔法の指先、紀伊国屋綾子です」と心の中で唱えるようにしています。舞台の神様にもお伝えしています。この一瞬のために生きて、この瞬間に最高の力を出す役者さんが、舞台上でキラキラと輝けるように、サポートの一員として携われる喜びとともに舞台の成功と無事を願って祈るようにしているんです。
だからこそ、全ての役者さんのストーリーを聞くようにしています。一人一人の歩んできた道のりがあるから、それを「あや姐が応援するよ!」って気持ちで施術にあたっています。
日本はカウンセリングやセラピーの分野が遅れていて、それらを日常的に受けるという習慣がないんですね。一人一人と関わってコミュニケーションをとることは、彼らの全体的なバランスを保つためのセラピー要素にもなっていると自分でも実感しています。

 

―ますます活躍の場を広げていかれる紀伊国屋さんですが、今後の目標はありますか?

今関わっている演者さんがたくさんの場面で活躍してくれるよう、いい仕事ができるようサポートすることです。彼らに成功してほしいと切に思います。
あとは、最終的に舞台の演出に関わりたいと思っています。「もっとこういう動きの方が彼らが輝くよ」とか、「この役なら〇〇さんが合うよ」というようなアドバイスをしたい。トレーナーと演出の融合というところでしょうか。舞台の台本をもとに、その役に合う演者さんをキャスティングするというところから携わりたいですね。60歳の自分をイメージしたときに、役者さんをはじめ、エンターテイメントに関わる人たちの中に身を置いていたいですね。だからこそ、これからもたくさんの演者さんと素敵な出会いを重ねていきたいと思っています。

ライター:ColoR

メッセージ from Ayako

整体師の施術によって「左耳の不調=当たり前の状態」だったことが改善し、「 よくなるかもしれない!」という大きな可能性と希望を与えられた、 小学生の頃の自身の体験が今の仕事に携わるきっかけとなり、これまで歩んできました。施術を通じて出会う皆 様の「さらに健康で美しく、これからもずっと元気でありたい」というお気持ちを真摯に受け止め、お過ごしいただく時間を通じて、心と身体をリセットし、輝かしい毎日を過ごし続けられるよう、施術に魂を込めさせていただきます。

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