なぜ私が結婚相談所の社長になったのか?

すたすたと歩み寄り、
真っ赤な名刺入れから強烈な写真入り名刺を抜き取り

『西麻布で結婚相談所やってます!大西加枝でっす!』

とご挨拶すると、ほぼ100%

その1 ほー!なんで西麻布なんですか?
その2 げー!ご自身はご結婚されていらっしゃるんですか?
その3 どー!なんで結婚相談所をやろうと思ったんですか?
その4 ぬー!どっかで見た事あります!あっ やっぱないかも!

上記の、ご質問や人違いを頂きますが、

今回は、
その3『どー!なんで結婚相談所をやろうと思ったんですか?』
について書きたいと思います。

色んな想いや、偶然や、巡り合わせが重なり今があるので、文章にするのはとても難しいのですが少しでも私の想いと立ち位置を知ってもらえたらなと思います。

私は2011年の12月

つまり、あの震災の8ヶ月後に会社を設立しています。

地震が約束された日本で暮らしているのに、なんの準備も備えもなく、私はその日を迎えたのですが、

目を覆いたくなるような悍ましい光栄から、東京の街並みにカメラが切り替わり、

私の目に写ったのは、電車という交通手段を断たれた大勢の人たちが帰宅困難者になり、歩いて家に帰って行く姿でした。

何時間も、何時間も、家に帰るために歩く人々。

『人は危険な時こそ、家に帰る。みんな家が1番安全な事を本能で知っているんだ。』

その場に留まる方が安全かもしれないのに、家に帰る大勢の人たちを見て

その人が帰る場所
その人が戻れる場所
その人が1番安全な場所
その人が守るべき場所

私は、1つでも多くの“その場所”を創る人になろうと、なぜか震災の時に使命感みたいなものが芽生えたのです。

別に結婚じゃなくても良いと思うんです。

例えばフランスには、パートナーがパートナーであるべき選択肢が3つもある。

事実婚・PACS・結婚

どの3つを選んでも、この3つを選ばなくても

その選択の向こうには幸せな瞬間も、不幸せな瞬間も散りばめられてある。

入籍しない愛のカタチや家族のカタチを否定するのは、もはや時代遅れ。

日本の制度がちょっぴり時代についていけてないことと、
日本人の隣の芝生がうちより青いのでは!?という背丈比べさえなくなれば、

日本人の愛やパートナーシップがもう少し輝きが増し文化となり、表面にでてくるような気がするのです。

これからの日本に、パートナーがパートナーであるべき選択肢がどのくらい増え、どのように変化し、そもそも結婚という制度がどのくらい先まで残っているか、

正直私にはわかりません。

結婚が正解なのか不正解なのか、その答えも私は持っていません。

けれど、私はあえて結婚のプロでありたい。

その人が、帰る場所、守る場所、助け合える場所

それってやっぱり最後は家族だというのが私の考えです。

なぜ結婚相談所を始めたの?って必ず聞かれるので、

聞いてくれた方が、【大西 結婚相談所 理由】ってGoogleで検索した時に

この記事がヒットすることを心から願って書きました。

~婚活する男女に愛と敬意を~

大西 加枝

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