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美容師 | 江利 仁美

プロフィール

江利 仁美 (えり ひとみ)

美容師

山野美容専門学校を卒業後、山野愛子美容室 銀座本店へ。その後複数のサロンで約20年のキャリアを積み、吉祥寺の人気美容室では店長を務める。2017年に独立し、2018年ニューヨークおよびパリコレクションに世界的アーティスト、トム・ペシュー氏率いるヘアメイクチームとして参加。サロンワーク、美容師向けコンサルティング、海外コレクションヘアメイクとして活躍の場を広げている。

STORY

「母を幸せにしたい」と目指した、美容師への道。”世界”をフィールドに活躍し「お客様」と「美容師」両方を幸せにしていきたい。

ーー 美容師になったキッカケってなんだったんですか?

小学校低学年頃に、すごく髪を伸ばしたくなった時期があって。でも、両親は共働きで忙しく、長い髪を結ったりする時間は持てないので短い方がラクでした。それでも長い髪に憧れていると、母が私に「自分で自分の髪をケアできるならいいよ。」と言ったんです。決して器用な方ではありませんでしたが、本屋で髪のアレンジ本を買い、見よう見まねで三つ編みを始めてみました。ある日、それを見た母が「あら器用じゃない!美容師になったら?」と一言。すごく嬉しかったのを覚えています。また同じ頃、ひどい癖っ毛に悩んでいた母が、なかなか良い解決法に出会えず、ついに髪をバッサリと切ってきたことがあったんです。だけど癖毛がひどくて、なかなかうまくまとまらない。そして「お母さんの髪は癖っ毛だからしょうがないの。」と悲しそうに毎日言うんです。そんな母を見るのが辛かった。そういったことが重なって、、「お母さんを幸せにしたい」という想いが湧いたことから美容師を目指しました。

 

ーー 小さな成功体験とお母様への想いがキッカケだったんですね。そこからもう、やりたいことは固まってブレなかったんですか?

やりたいことは三つあったんです。それもやはり、母の言葉が大きくて。母は、自分が手に職をもっていなかったことから、職探しに困ることが多かったようです。その為小さい頃から「手に職をつけなさい」と教えられてきました。自分の中でチョイスとして上がっていたのは、「美容師」「保育士」「看護師」の3つでした。

 

ーー どれも女性が活躍しやすそうなジャンルですね。

高校を卒業したら大学よりも専門学校に行きたいと思っていました。この三つというビジョンは漠然とあったんですが、まず看護師は・・血を見るのが怖かったんです(笑)保育士は、ある日友達が「ピアノが弾けないとダメじゃない?」と言ったのを聞いて、ああそうなんだと思いました。そこで、じゃあ美容師になろう!と。

ーーきっかけって意外とそういうささいなことかもしれないですよね。

いざ、美容師になろうと思い始めた頃、茨城の水戸で美容師をやっている叔母に東京に行きたいと相談し、山野美容専門学校に入ることを決めました。田舎出身ですし親も心配したので、その当時あった「山野社長宅に住み込み家政婦をしながら通学する制度」を利用して、社長の身の回りのお世話をしながら夜間に通うことにしたんです。

 

ーーそんな制度があったんですね!驚き!

はい、当時はあったんですよ。美容師の叔母が探してくれました。その方がまず、親を安心させられるし、寮みたいな感じですよね。それになんとか授業料を自分で払いたかったんです。その制度を利用すれば働きながら学ぶことができるし。親に迷惑かけられなかったっていうのがありますね。

 

ーーそれは、親のお金で学校に通っていた人とは覚悟が違いますよね。住み込みで働きながらって具体的にはどんな感じだったんですか?

朝6時に起きて、まずは朝食の用意。お米を炊き、出汁をとって、コーヒーを入れます。常に洋食と和食の両方を出せるように準備しておいて、、という具合です。その後も17時までは仕事をして、18時から21時まで学校に通うというスケジュールでした。

 

ーーそこで、美容師に必要なホスピタリティも同時に体得した感じですね。お話を聞くだけでもハードな毎日ですが、辞めたいとか思いませんでしたか?

何度も思いました。でも、ここで辞めたら母が悲しむ。「覚悟」を決めたから、そこは多分、すごい頑固なんでしょうね。

 

ーー「覚悟」って結局仕事を続ける上ですごく大事な部分ですよね。当時すでにそれだけのガッツがあれば、後に独立するのも必然だったのかも。その頃からすでに独立することは意識していましたか?

意識していましたね。専門を卒業し最初は銀座にある山野の直営サロンで働きました。ところが・・先輩がめちゃくちゃ怖くって(笑)。人間関係に悩みながらも1年ほど働いた後退職しました。そこから、少し休養もかねて、10ヶ月間水戸にある叔母の美容室で働かせてもらいました。下高井戸の美容室で6年、その後吉祥寺のサロンで11年間店長として勤めました。

ーーそこから独立に至ったキッカケっていうのは?

体調を崩したんです。辞める2年前くらいから、責任ある立場についたこともあり、ものすごく忙しくなって。数字をあげないといけない、人材が足りない、結局ほとんどおやすみを取っていませんでした。「どこまでやれるのか」っていう自分への挑戦の意味もあって、頑張りすぎちゃいましたね。。次第に余裕がなくなり、人にきつくなり、自分の正解を押し付けていたように思います。当然、スタッフとの距離もできていました。正直嫌われていたと思いますよ。

落ち込んでは、友達に励まされ、を繰り返していたある日、耳が聞こえなくなってしまったんです。「突発性難聴」、原因は不明でした。しかも検査は異常なし。やがて全身に発疹が出て、、、過労とストレスという診断でした。真剣に直したいなら仕事を辞めないといけないと。正直いうとその頃、心療内科でも鬱手前と告げられ、通勤時の電車内でも過呼吸を起こしてしまったりと・・・これはもう、ここで休憩しないと、過労死になっちゃうと感じ、当時のオーナーに相談して退職しました。

 

ーー責任感がすごく強い方なんですね。抜けがないというか。。でもそういう方がいてやっと現場が回ってる部分がある。それでもやはり、最後は自分を一番大切にしないとですよね。

そういう時期を経て、否応無く独立の道に行きついたとも言えますね。今思えば、、そう、体が教えてくれた。その後休養を兼ねて一度実家のある九州に戻ったんです。ただ、200名近い担当のお客様をサロンに置いて来たことが心残りでした。そんな中、私が退職したことを知ったお客様からどうしても私がいいとSNSに連絡があったんです。いつ美容師業を再開するかもわからない私に「それでもいいから待つわ。あなたじゃなきゃ嫌なの」と、次回予約をとっていかれました。サロンもないのに。。「復帰したら教えてね!」と。そんなやりとりが増えて行き、次第に「どこか活動場所となるサロンを決めなくては」と考えるようになりました。結局、2ヶ月も休まずにまた東京にもどって来ることになりました。

 

ーーお客様に導かれた、という感じですね。

本当にそうなんです。最後のサロンで余裕を失くしながら働いている時に、あるお客様に怒られたことがあります。「なんで自分のことをまず一番に大切にしないのか。そういう働き方は辞めなさい」と。この人..このままじゃ壊れるなってお客様にも伝わってたんだと思います。「あなた、働き方を変えなさい」と、3人くらいに言われました。

 

ーーお客さんの目にもそれが映っていた?

今思えば、ギスギスしてたと思います。「結局、今のあなたは仕事をこなすことを優先にしてる。確かに技術も接客も素晴らしい。でもお客様が求めてるのは必ずしもそこじゃないのよ」って。

 

ーー美容サロンて、ある種その数時間を楽しみにきてる、”コミュニケーションの場”でもありますもんね。

そうなんです。その頃は、まずこれをやってあれをやってと、自分の中の段取りがあるし、スタッフにも目を配らなきゃで、常に目を光らせてピリピリしていましたね。余裕がない。完璧がいい。手を抜いちゃいけない。怠惰は絶対ダメだって、、あの時の自分は間違っていたなって今は思います。

 

ーーでも、そう言う時期も大切だと思います。がむしゃらに精一杯やり抜く時期を経て、少し緩めること、許すことを覚えるっていうか。

その時点でもう20年近く・・・すごいことですよ。一旦お疲れ様って言ってあげたいですね。それで導かれるように起業に至ったわけですね。

はい。最初は恵比寿に憧れていたこともあり、そのエリアで美容室を徹底的に偵察しました。お客さんになりすまして、お店の雰囲気など感じたり(笑)あと、設備的に譲れないこだわりがあって。シャンプー台がフルフラットに倒れることが条件だったんです。200店舗近く見ましたが、結局それが叶うサロンは一箇所しかなく、いわゆる「面貸し」のスタイルでフリーとして働き始めました。ただ問題点が一つあって、「デジタルパーマ」を扱っていないお店だったんです。

徐々にその問題点が大きくなっていった頃、現在の活動拠点となっているフリーランス美容師向け大型シェアサロン「GO TODAY SHAiRE SALON stella店」が数ヶ月後にオープンすることを知りました。

 

初めてこの場所を見たときに、「すごくいい!」と直感的に思いました。設備も申し分なく、何より利用しているのは皆フリーの美容師のみ人間関係がとてもフラットなんです。今は本当にストレス0! 毎日がとても楽しく、その分肝心のサービスや技術に集中できています。

ーー 美容師さんの人間関係問題・・・よく耳にしますよね。でも諦めずに自分にぴったりな働き方を模索し続けてよかったですね! ここから江利さんの快進撃が止まらないですね。フィールドを海外に広げていく、と。

はい、フリーとしての活動体制が整ってきたこともあり、ずっと挑戦したかった海外に視野を向け始めました。2018年の秋には、ニューヨークコレクション、パリコレクションのバックステージにヘアメイクとして参加することができました。

 

ーー しかもパリでは、ヘアメイク界で知らない人はいない、世界最高峰の巨匠、トム・ペシュー氏のチームでの参加ですよね。

すっごく刺激的でしたね!やっぱりパリは違いました。洗練されて、スタイリッシュ。モデルの質も違うし、取材の多さも格段に多い。VOGUEとか、コスメスポンサーもMACだし、アドレナリンが出るというか・・テンション上がりますよね(笑)

 

ーーそして現在は、サロンワーク、美容師向け・オーナー美容師向けコンサルティング、世界の舞台でヘアメイクと活動フィールドを3つに広げられていますよね。

そうですね、今はそのどれもが大事だし、全てに取り組むことでそれぞれに相乗効果が生まれている感じですね。毎日がすごく楽しいんです!

ーーいっつもパワフルで、いい笑顔をされていますもんね。これから先、さらに取り組んでいきたいことはありますか?

一つ、フリーとして、独立することで美容師業界に対して残念に思っていることがあって… 後輩が育たない、育てられない、そんな環境に問題があると思っています。人が育たないことで困るのは結局はお客様です。なので、後進を育てるためにも美容師向けコンサル事業に取り組んでいます。彼らがこの業界にいつまでも残ってくれるように。サロンワークはお客様を、コンサルは美容師を幸せにすることを目的とし、世界の舞台で得た感性を両方に還元して行きたいんです。なので今はどれかに絞るって感じではないですね。

 

ーー「あえていろんなものを取り入れて広げる時期」もありますよね。色んな経験の中で高めていって、また絞る時が来たら自ずとそうなるのかもしれないですし。

そうですよね。美容師として、常に感性を高め続けていたくって。それを磨くにはやっぱり海外に行くことが大事だし、そこはもう自分への挑戦でもありますね。コレクションに参加するって言うとお客様も喜んでくださるし、誇りに思うみたいで。美容師としての付加価値もつくと思いますし、実際紹介も増えました。

 

ーー 改めてお話お聞きして、常に凛として一本筋が通ってるって言うか、力強い魅力がありますよね。

嬉しい(笑) だとすれば、根源は「覚悟」ですかね。この道で頑張ろうって決めたんです、お客様のおかげなんですけど。きっとそういうところから強さって出るのかもしれませんね!

メッセージ from Eri Hitomi

私自身も40代に突入し、年齢による髪質の変化を顕著に感じ始めています。トップのボリュームや白髪、乾燥による髪のうねり、そして髪のツヤ、ボリュームで見た目年齢が左右することに着目し、これまで多くの大人女性の満足を叶えてきました。「エイジングヘアケアコース」では、直後に驚きの指通りを感じていただけることはもちろん、10年後の健やかな髪のために今できることを余すところなくご提供させていただきます。

 

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