母娘二代で築き上げた天然スキンケアコスメ。
「健康・美容分野」を通じて
多くの人の幸せに貢献するのが私の生きる使命。

匠STORY

コスメプロデューサー | 木元 仁玉

木元 仁玉  ​(きもと じんぎょく)
天然コスメプロデューサー
(株) J LINK INTERNATIONAL 代表取締役

プロフィール

大学在学中にWスクールでメイクを学び、20才で単身NYへ。国際メイクアップアーティストとしてNYコレクションや様々な雑誌・広告に参画。帰国後、東京都主催の起業家コンテストで「優勝&オーディエンス賞」と史上初のダブル受賞をきっかけに、23才で上京し美容会社を設立。特技は英語・中国語・韓国語・ロシア語・関西弁。

Story

 

ーー 起業のきっかけはなんだったんですか?

大学4年生の冬に友人(内定者同期)に勧められて、気軽に応募した東京都主催の「学生起業家コンテスト」で、全国から集まった学生の中から思いがけず優勝してしまい、東京都から資金を頂いて起業しました。行きたかった化粧品会社の内定を頂いており、4 月から憧れの東京 OL の予定でしたが、予想外の受賞で急変化し、入社 3 週間前に内定辞退して起業しました。

 

ーー すごいきっかけですね!それで、どのような事業でスタートしたんですか?

起業して最初はコンテストで受賞したビジネスプランに関連した美容系の WEB サイトを運営をしていたのですが、私のチカラ不足で目に見えない「サービス」をキャッシュ化することがなかなか実現できず、資金がどんどん底をついていきました。

そんな中、たまたま実家が漢方食品・健康食品の製造メーカーで、研究者の母が独自技術で特許を何件も開発していたので、その食品の技術を化粧品に応用できないかという話から、100%食材由来の「OMNIST-オムニスト-」というオリジナルスキンケアブランドを立ち上げました。

子供のころから人を綺麗にする仕事に就きたくて、大学時代にはメイクアップの学校にもダブルスクールしていました。20 才の時は 1 年間休学して、NY でメイクアップアーティストとして活動していて、就職活動も化粧品会社に絞って行うくらい、そもそも化粧品会社への憧れは強かったんです。

 

ーー 起業当初、特に大変だったことは?

関西から単身で上京したため、知り合いやツテが全くなくて、少ない起業資金を握りしめては、とにかく人脈を広げるために夜な夜な出回ってました。今でこそ女性起業家はどんどん増えて注目されており、支援などもたくさん行われていますが、2010 年起業当時は、女性起業家は東京と言えどほとんどいませんでした。

特に大学を卒業したばかりの小娘だった私は名刺すら受け取ってもらえない、まともに取り合ってもらえないということも多かったですね。やっと仕事が来たと思ったら「あなたの経験になるんだから当然タダでやってくれるよね?」なんてことも…。それでも、情熱だけで突き進んでいた私の話をきちんと聞いてくれて、人のご縁を繋いでくださったり、応援してくださった方もたくさんいらっしゃったので、本当に感謝しています。

 

ーー その後、数多あるコスメブランドの中で、OMNISTが支持されていく過程にはどんな転機がありましたか?

2010 年に立ち上げた自社のスキンケアブランド「OMNIST-オムニスト-」は、広告費をほとんどかけられなかったのですが、《100%食べるものでできた化粧品》というのが珍しいのもあって、敏感肌の方々から支持を得るようになり、少しずつ口コミでお客様が増えていきました。

今となっては当たり前ですが、いち早く独自の「定期購入」システムを立ち上げ、買えば買うほどリピーター様に還元される形を実現することで、毎月の売上が安定するようになりました。当時は定期購入を導入している化粧品や健康食品はあまりいなかったと思います。

 

ーー 安心安全にこだわった商品だったからこそ、それをより必要とする方に支持されたんですね。
ところで木元さんは、起業当初海外に住まわれていたんですよね?

はい。起業 2 年目に結婚して、すぐに主人の海外赴任が決まったのですが、新婚から 6年間国際別居というのはさすがに嫌だと思いました。一方で、まだまだ会社の売上や仕事も軌道に乗ったとは言い難い状況の中で悩んだのですが、取引相手様からの後押しや応援もあって、いったん思い切って夫についていく道を選びました。

前半の 3 年位は私も海外を拠点にしつつ、1~2 か月に 1 回は日本帰国して長期間ホテルに住み込み、商談や直接会って行う仕事を詰め込んでいました。海外に居る時は、PC やスカイプを使った遠隔操作で仕事をするという、自分の中でもかなりチャレンジングな仕事のやり方に挑戦しました。

今でこそ、在宅ワークやリモートワークが注目されていますが、当時は「そんな器用なことができるのだろうか?」「こんな私に誰が仕事をお願いしてくれるのだろうか?」と不安ばかりでした。毎回 10 時間かけて日本と海外を行ったり来たりする生活で、会社の売上はどんどん飛行機代やホテル代に消えてしまうし、精神的にも身体的にも金銭的にもきつかった 3 年間でした。

それでも私にとっては日本での仕事と夫との生活の両方がすごく大切で、どちらか片方を選ぶというのは嫌だったのだと思います。

 

ーー 後半の3年はどのような感じだったんですか?

主人の海外任期も残り半分の 3 年を切ったころ、日本に戻った後の理想の生活を二人でたくさん話し合いました。例えば子供がほしいとか、出産前までに会社をここまで軌道に乗せたいとか、産後すぐに仕事復帰したいから祖父母やシッターさんの力を借りたいとか…。そしてその理想の生活を実現するために必要な、安心して子育てできるような環境やお金を準備するべく、私が一足先に日本に拠点を移して仕事のアクセルを一気に踏もうという結論になりました。

夫も本当は慣れない海外生活での一人暮らしは心細かったと思いますが、少し躊躇している私の背中をめいっぱい押して日本に送りだしてくれました。あのときの決断と行動がなければ今の私や仕事はないと思います。

 

ーー 同じ未来を見据えながら、お互いの「今」のベストを見つけていった感じですね。
そうやって国際別居婚生活を続けること 3 年弱、私なりに最大限行ったり来たりして、仕事も夫婦の時間も大切にしてきたつもりです。そうして夫の帰国日が近づく中で、願い叶って子供も授かり、ちょうど夫が帰国してすぐのタイミングで出産となりました。それを機に、二人で前々から話し合っていたように夫は海外での仕事を辞めて、新たな職種に挑戦する決断をしてくれました。

夫の仕事は、本人の学生時代からの夢を叶えたものではありましたが、毎日とても激務で、今後もいつ海外赴任になるか分からないため、共に助けあいながら二人で日本で子育てしたいという私たちの新たな夢や理想を叶えるには少し難しかったからです。

新しい家族が増えるというとても大きな変化を前に、夫婦で一緒に長い時間をかけて考え抜いた結果、「家族みんなが一番幸せになれる」と思う決断をしたと思います。

 

 

ーー 夫婦で尊重し合いながらお互いのキャリアを高めていったんですね。話し合う際に大切にしていた点などはありますか?

女性の社会進出が叫ばれる今、男性と変わりない労働時間や責任、給与を得ている女性はたくさんいます。出産というのは、女性にしかできないことではあるものの、男性側もそれを「自分のこと」「大事な家族のこと」としてしっかりと向き合ってほしいと伝えてきました。

出産すると女性は、体も心も仕事に費やせる環境も何もかも変わってしまいます。100%を男性に理解してほしいというのは無理でも、せめて出来るだけ知ろうとしてほしい、出来る範囲でいいから精一杯歩み寄ってほしい、と強く感じていました。きっと世の女性たちも同じように感じているのではないでしょうか。

大切なのは、「家族みんなの幸せのために、未来のために、何を一番大切にしたいのか」という価値観を夫婦でとことん共有することではないかと思います。「夫婦二人で一つの王国を築き上げる」というイメージを私はもっていて。だからどんな些細なことでも楽しく前向きに話し合いたいんです。価値観が食い違うにしても意見が対立するにしても。

 

ーー 妊娠・出産を経て、ご自身の仕事に対する考えに変化はありましたか?

妊娠してからは一気に体調に変化があり、おなかもどんどん膨らんでいくし、自分の体なのに思い通りにいかない、まるで自分のものではないような感覚でした。加えて情緒不安定になるし、肌も敏感になるし、食べるものや化粧品の成分の安全性もすごく気になってきて、とにかく不安で逐一成分とかを検索していましたね。自分だけの体じゃないんだと思うと、悪影響がでないように注意しなきゃ!という気持ちでした。

その時、100%食べられる原料のみで作った自社のスキンケア化粧品「OMNIST-オムニスト-」はあらためてありがたいなぁと思いずっと使っていました。妊娠中で敏感肌やナーバスになっている方に自信をもってオススメしたい商品だと、我ながら実体験で思います(笑)

ちなみに子供は娘なのですが、母と私の親子 2 代で懸命に築き上げてきたこの化粧品を、いつか娘が手に取って使うことが今から楽しみです。

 

 

ーー 現在は子育てをしながら事業を拡大していく上で、どのように育児と仕事のバランスを取っているんですか?

育児や家事は人にまかせられるところは全力で頼っています(笑) 完璧な母親、妻になろうとすると、「こんな私は失格なんじゃないか」って自分を責めてしまってすごく苦しかったんです。今は夫や祖父母、ベビーシッターさんにお願い出来るところは全てお願いしつつ、日中はほぼフルタイムで仕事をして月に何回かは泊まりで出張に行きます。子供とはそんなに長い時間でなくとも毎日きちんと向き合える時間だけは作って、愛情を伝えるようにしています。

母親の私以外のたくさんの大人に可愛がられて、いつもニコニコでスクスク元気に育っています。ちなみに私の母は私を生んで 2 か月後から 1 年間研究の仕事で海外に行っていたため、1 歳 2 か月になるまでの間 1 度も私に会えなかったそうです。

母は国際郵便で送られてくる私の白黒写真を握りしめながら「母親失格でごめんね」と毎晩泣いたそうです。しかし寂しい想いをしたとしても、これだけは断言できます。私はいつもキラキラ楽しそうに働く母の背中を、心から尊敬していましたし、娘の私が足かせとなって母の夢を叶えられないことを全く望んでいませんでした。母の背中を見てきたからこそ、今の私も仕事を楽しく頑張る背中を娘に見てもらいたいと思っています。

 

ーー 今後も、家族一丸となって目指したいものは?

家族みんなの未来が明るく幸せが続くということを私は一番大事にしていますし、夫にも子供にもそして両親たちにも大切にしてほしいと願っています。くじけそうになった時、辛かった時、病気になった時、一番そばで支えてくれたのは家族でした。あの有名なマザーテレサは「どうやったら世界平和を実現できますか?」と記者に聞かれたとき、「まずは家に帰って家族を大切に愛してあげてください」と答えたそうです。1 人 1 人が皆、自分の家族を大切にできれば、おのずと地球全体が平和になる。そんな想いだったのでしょう。

私もまずは自分の家族をめいっぱい幸せにし、そして「健康・美容分野」を通じて少しでも多くの家族の幸せに貢献することができれば嬉しいです。
それが私の生きる使命だと思っています

 

Message

朝、鏡にうつる肌が綺麗だと、その日はなんだかいいことが起きる気がしませんか?「自然と笑顔がこぼれる」「今日はなんでも上手くできそう」そんな女性特有の気持ちを大切にしたいと思ったのが、スキンケアブランドを立ち上げたきっかけです。もともと私自身が自分に自信を持てない女の子でした。でも綺麗になろうと努力をすることで、毎日が楽しく輝けるものになることを知りました。皆様の美しい素肌を叶えるお手伝いを通じて、その先にある未来やしあわせな毎日に、ほんの少しでも関われることが喜びです。

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