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肌質改善セラピスト | 阿部 史
プロフィール
阿部 史(あべ ふみ)
肌質改善セラピスト
スキンケア脱毛サロン たなこころ 【目黒】 代表
浄土真宗西本願寺派のお寺と、幼稚園を経営する家に生まれる。9歳の頃、紫斑病性腎炎を発症し、ステロイド治療で見た目も生活も激変したことから、お肌のコンプレックスを解消すべく美容の世界へ。大手エステサロンでの地方営業、エステティックグランプリ顧客満足部門2年連続グランプリを獲得したサロンでのチーフ経験などを経て、”痛くない脱毛技術” との出会いから、「大人から子供まで安心・安全なスキンケア脱毛」をコンセプトにしたサロン「たなこころ」をオープン。幼稚園教諭の免許を保持し、サロンにはキッズスペースも設けている。
Story
ーー阿部さんが美容の道へ進むキッカケはなんだったんですか?
9歳のころ、『紫斑病性腎炎』になり生活が一変しました。長期入院を繰り返す生活で、ステロイド治療により見た目も変わってしまい…。薬漬けで常に身体がしんどい毎日で、やりたいこともできず「何かケアをしないと普通の生活は送れない」とその時に健康意識が芽生えました。思春期を迎え、さらにお肌に対しての悩みが増え、一般化粧品をいろいろ試しては失敗を重ねる日々。美容+健康を意識し出し『ヨガ』『温熱療法』『料理教室』なども試しました。その後、短大進学のため大阪へ引っ越したのですが、『環境の変化』と『水』が合わず、肌荒れが悪化し、コンプレックスを感じて悩むように…。『隠す美容・メイク』 の毎日で自信がなくなり自暴自棄になった時期もありましたが、就職活動をする中で『美容と健康』を学びながら活かせるのはエステ業界ではないかと思い、就職を決めました。
ーーご自身の辛い経験から美容の道に進まれたんですね。元は大手エステサロンのご出身ということですが就職したばかりの頃はどうでしたか?
短大を卒業して、全国に120店舗ほど展開する当時急速に成長していたエステ会社に就職しました。最初は大阪店に配属されて、その後は各店舗をオープン日までに売り上げ達成させていく営業部長のようなことを任されました。そのため、数ヶ月でいろんな所を転々として、休む暇もなかったですね…。ほとんど家にも帰れず。全国を飛び回るように夢中で働いて疲れていた時、高知の店舗で尊敬できる先輩に出会ったんです。”伝説の店長”と言われていた人で。その方から『お客様との信頼関係と深い繋がり』『美容の大切さ』を学びました。
ーー今でもそう思える方と出会えたって貴重なことですね。
はい。本当に素敵な方でした。その出会いがなければ、その後紆余曲折しながらもエステ業界に戻ってくる今の未来はなかったと思います。というのも、当時のエステ業界というのはちょっと現在の常識では考えられないような風習がまかり通っていたのも事実で・・身も心も疲れ果て、これ以上は壊れてしまう、と数年で退職を決めました。
ーーエステサロンを辞めてからはどのような生活をしていましたか?
これまでの休息も兼ねて、しばらくはフリーターをしながら今後の人生を模索していました。そのうち、このままフラフラしているのもいけないと思い、短大に復学して『幼稚園教諭免許』を取得しました。実は実家がお寺なのですが、境内で幼稚園経営をしていたこともあり、免許取得後5〜6年間は手伝っていました。
そんなある日、フットケアサロンを経営されていた友人のお母さんにお誘いいただいて、軽い気持ちでトリートメントを受けに行ったんです。そうしたらそれがものすっごく気持ちよくて・・・フットケアの技術で、「血の道ケア」というものだったんですけど「この技術、すごいなあ」と。どハマりしました(笑)ちょうどその頃、幼稚園の後継ぎとなる兄が帰ってきたタイミングも重なり、20代後半だった私は、「この大事な時期に中途半端に仕事をしたくない、結婚や出産なども踏まえ、自分の将来を真剣に見つめ直そう」と思っていたんですね。そこでしっかりとこの技術を習得したいと『日本フットケア協会』に入学しました。
そこで出会った姉弟子のサロンが、東京にも展開する「アンジェラックス」というエステサロンだったことで、上京に繋がりました。
ーーアンジェラックスといえば、2016年、2017年にエステティックグランプリ顧客満足部門グランプリを連続受賞され、今では名の知れたサロンですね。なんだか導かれたような流れですね。
そうですね。「日本フットケア協会」はどちらかというとご高齢の方メインにケアをするような感じだったんですね。当時20代でしたので、やはりもう少しエステ要素にも興味があり。見学会で、のちの師匠となる方にそのことをお伝えしたんですが、するともうその場でアンジェラックスの社長にお電話をしてくださって。「この子いいよ。育つよ。」って紹介してくださったんです!まだお会いしたばかりなのに(笑)そうと決まれば、早く技術を身につけて東京に行きなさいということで、次の日から毎日フットケアに行って技術を仕込んでいただき、3ヶ月後「はい、もう行ってよし!」と背中を押される形で全てが動き始めました。
ーー必要な時に必要なことが噛み合った、という感じですね。
本当に、この頃は不思議な流れで物事が動き続けましたね。そうやって上京したわけですが、アンジェラックス西新宿店舗の流れを、長野店に創り上げて欲しい、というミッションを与えられ今度は長野にいくことになります。そこから1年ほどは長野店、松本店につきっきりでした。
ーー長野はどうでしたか?
大好きな場所になりました。紫外線の強い地域なのですが、割と厚化粧をしないナチュラルな方が多いんですね。そのためトラブル肌が多くて。エステに行くとなるとブライダルでの利用がメインなんです。なので、お客様にも目標がしっかりとあって、多少攻めたケアも提供することができる。お客様と泣いたり笑ったりコミュニケーションを深く取りながら、二人三脚で目標達成して晴れの日を迎えていただく、そんな関係性がすごく楽しかったです。3年ほど働いて、自分に自信がついてきたこともあり、「今までとは違う形の働き方」をしようと卒業しました。
ーー今までと違う働き方、っていうのは独立ってことですか?
その時点でそこまで独立の意思を固めていたというわけではなく、、再就職しようかなとも思っていたんですが、、なぜか不思議なことに、1年間くらい知人友人のケアだけでも生活していけたんですよね(笑)
ーーそれはすごいですね!
頑張ってきた休息も兼ねて、のんびりと頼まれたことに一生懸命取り組んでいた時間でした。
ーーインタビューをしていていつも思いますが、やっぱり正しい方向に向っていると、無理なく進むものですね。エスカレーターのように。
でも、タイミングが訪れる前や、20代の頃って皆もがき苦しんでいた時間もある。そういう時間こそが大切なんでしょうね。
ありましたねえ…根拠のない自身に満ち溢れているんだけど、それをどこにぶつけていいのかわからない。そんな20代でした。でも、そういう時はひたすら、人に頼まれたことを片っ端から全力でトライしてましたね。でもやっぱりしっくりこなくて飽きる(笑)
ーーきっと、”探してる”っていう感じですよね。私自身もその手のタイプの20代だったのですごく共感できます。
人から見ればコロコロ変わっているように見えるんだけど、本人としてはトライ&エラーを超スピーディにやっているだけっていう。
そうそう、本当そうでしたね。”スナフキン”ていうあだ名がついてましたもん(笑)
ーーそれで、道が定まってきたのはおいくつぐらいの時だったんですか?
振り返れば、さっき申し上げた「フットケア協会」に出会った頃でしょうね。そこから、「エステで絶対に食べて行こう!」って。アンジェラックスで本格的なスキンケアやエステに出会って自信がついたことがそれをより強くしたと思います。実は両親にも家族にも大反対されたんですが、意地もあるし、「もう自分はこれで生活をするんだ」って覚悟を決めたのが28歳の頃でした。
ーーそれまでの時間っていうのも、一見効率が悪いように見えて実はそれこそが大事なんでしょうね。
すごく良かったと思っています。実家に帰って幼稚園教諭をやっていた時間も、今のサロンコンセプト(お子様も通えるサロン)に繋がっているし。幼児教育の免許を取りに行ったあの時間というのも、自分の中で何かを見直すのに必要だったと感じています。
ーーその後、脱毛に出会ったきっかけっていうのは?
アンジェラックスで使用していた「ENVIRON エンビロン」というスキンケアのDr.’sコスメがあって、現在うちのサロンでも使用しているものですが、これがものすごく良いなと感じていたんです。そこで、ENVIRONの加盟サロンを探してみたところ、半蔵門にあるお店に再就職することにしました。
そこで、インディバという機械と、脱毛の機械に出会って。どちらも「冷え」と「スキンケア」という私の中での大きなテーマと合致しましたし、機械エステの即効性にも魅力を感じました。そこでは、結婚するまでチーフとして働かせていただいたのですが、その時に都内でまだ数台しかない脱毛機に出会う機会があったんです。最初は、「脱毛か・・・」ってちょっとマイナスイメージを持ちました。
ーーマイナスイメージを持ったのはなぜですか?
やっぱりそれまでのエステ経験の中で、昔流行っていたニードル脱毛などは、時に怪我するリスクも持っていることを知っていたからですね。そのためあまりイメージが良くなかったです。しかし、その『痛くないハイパースキン脱毛』は、子どもでもできるほどに安全な脱毛と知り、最初は「冗談でしょ!?」と耳を疑いました。 自分の体で安全性を確かめないと納得行かなかったので、全部位を実験台にして試してみたんです。そうしたら本当にお肌が綺麗になって。
やっぱりムダ毛の悩みって奥が深いので、お客様が喜んでるのを見てすごく嬉しかったですね。印象的だったのは、最初泣きながらいらしたお客様で「これまであらゆる脱毛をやってきたけど、痛くて痛くて我慢できないの・・だけどムダ毛が気になるの・・どうすればいい・・?」って。そんなお客様の毛の悩みが、通ってくださるうちにどんどん改善されて、自分に自信が生まれて、もっと綺麗になりたい!ってそのうち彼氏までできて。その様子をみて、この脱毛機は本物だな、これをもっと広めたい!と思い始めました。
ーー『たなこころ』で脱毛をしようと思ったキッカケがそこだったんですね。
そうですね。その『ハイパースキン脱毛機』の会社の社長さんと当時のサロンのオーナーが仲が良くて。面識があったんですね。よくお店にもいらしていて、このハイパースキン脱毛を全国に広めたいんだとよくおっしゃってたんです。
その後、別のインディバサロンでも働いたのですが、その時のオーナーがよく「あなたなら独立してもできるよ」って言ってくださってて。その時は、「いや、そんな私なんて、、」って言ってたんですけど。その後、妊娠を機にお店を辞めることになり転機が訪れました。
ーーその時々で、色んな方の言葉がヒントになっていく感じですね。
子供が生まれて落ち着いた頃に、現場に復帰しようと考えました。しかし「サロン」という現場を知っているため、予約が入ってるのに子供が熱を出していけない、、はたしてそれが叶うのだろうか、自分にできるのだろうか、と「雇われること」にすごく不安を感じたんです。
そんな時、小顔矯正サロン立ち上げの声がかかりました。ところが、楽しいんですけど何かがしっくりこない。。不安を感じながらも話が進んでいましたが、ある時立ち上げ自体が頓挫してしまったんですね。でも、子供の保育園は決まってしまった。それをキッカケにしっくりきていなかった部分を自分が納得できる形でやってみたい!と私の中の『独立スイッチ』がバチっと入ったんです。
ーーなんとなく感じていた直感って、正しいものですね。
そうですね。自分の感は正しいっていう根拠のない自身もあるので「湧いてきた疑問を解決したい」「やりたいことをやろう!」と思った時に、自分のお店を開くしかないと気づいたんです。お店の名前は「たなこころ」に決めました。店名の由来はアンジェラックスで働いていた時の常連様に「ふみちゃんの手は本当に気持ちいいわ。気持ちが伝わるわ。本当に気持ちいいのよ」と言って頂けたことが印象に残っていて、“掌と心を込める”をもじって「たなこころ」 とし、2016年に「エンビロンフェイシャルトリートメントとボディケアサロン」としてオープンしました。
まずはワンルームを借りて始めたんですが、ある時期に一気にお客様が増えたんです。嬉しいことでしたが、ワンルームだとお客様同士がバッティングして導線を取ることができなくなり、さらにこのまま予約が取りづらくなったらなったらどうしよう…信頼して来てくださっているお客様に対して「結果が出せなくなる…」「それは絶対にイヤだ」と、もっと広いサロンを作る決意をしました。ちょうど同じ頃、プライベートでも問題が発生し「家族とお客様を守るんだ!」と腹をくくることができました。子育てもある程度落ち着いたので本腰を入れようと「スキンケア」「冷え」「ムダ毛」というキーワードに絞ることにしたのですが、中でも欠かせない「ムダ毛」… 悩む中で思い出したのが、あの『ハイパースキン脱毛』だったんです。早速メーカーの社長に連絡をとりました。
ーーここで「ハイパースキン脱毛」に立ち戻るわけですね.
そうなんです。実は忘れていたんですけどね(笑)脱毛機の社長さんにお会いしていろいろなことをお話する中で、これでいこう!と、2017年より脱毛を本格的に導入しました。
ーーそこから現在のサロンが出来上がっていったわけですね。
そうなんです。まずは、周りの人に「私やります!」と宣言しました。すると、みなさんが次々に応援してくれて。今のサロン物件に関しても最初は断られていたのですが、知り合いの方の口添えで許可が降りたり、融資もあと2週間遅かったら流れていました。本当にたくさんの方たちのおかげで、現在の場所にサロンを開くことができました。
ーー全てがGO!サインになった瞬間ですね。これから目指したい未来はなんですか?
『総合病院』みたいな感じの美容サロンにしたいです。イメージとしては、色んなジャンルの美容と健康のサポートチームがいて、個々の悩みに合わせたメニューを提供できればと。そういった仲間(専門家)を増やしていきたいですね。体って本当に奥が深いので、その方がお客様に対してより良い結果を出せると思うんですよね。その分、私自身は『スキンケア』を今まで以上に深く掘り下げて追求していきたいと思っています。
人って最初に『脳』と『皮膚』から細胞分裂すると言われているんです。なので、皮膚から記憶する部分は多く「触れる責任」が大きいことを常に心がけています。お客様が安心してデトックスできるよう、子供がお母さんに触れられているような気持ちのよい安心できる場所、まさに『たなこころ』そのものを感じられるサロンであり続けたいです。
メッセージ from Fumi Abe
思春期からお肌のトラブルに悩まされ続け、今のスキンケアシステムに出会うまで暗中模索の日々を過ごしたからこそ、お客様のお肌のお悩みに寄り添うことができます。トラブルを起こさないお肌、予防美容のアドバイスも得意としておりますので安心してご相談ください。痛みを伴う脱毛に我慢したり悩んだりする時代は終わりました。お肌を強く美しくしながら、リラックスもできる、まるでエステの様な心地良い脱毛技術で、皮膚に本当に必要な栄養をお届けします。
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スキンケア脱毛サロン たなこころ 【目黒】オーナーセラピスト 浄土真宗西本願寺派のお寺と、幼稚園を経営する家に生まれる。9歳の頃、紫斑病性腎炎を発症し、ステロイド治療で見た目も生活も激変したことか...