娘の左手のこと
娘が生まれてもうすぐ2ヶ月が経とうとしています。
実は、
予期せぬ帝王切開で生まれてきた
彼女の左手は人とは違う形をしていました。
まず肘から下の「前腕」に
通常2本ある骨のうちの1本がなく、
この不足した骨が親指へと繋がっていくため
親指のない4本指であること、
それにより手首が親指側に屈曲している
という病名でいうところの
「左前腕形成不全」です。
生まれる前には全くわからなかったので
出産直後、麻酔で朦朧とする中
産声が鳴り響き一安心した矢先
このことを告げられた私の率直な感想は・・・
「おぉ、まじか、そういうことか」
でした。
なんか軽くてすみません。
でも本当に率直なところそんな感じだったのです。
「青天の霹靂!!!!」
とか、
「嘘でしょ!?なんで私の子が!?私の子に限って!?」
というような激しい落胆は無かったように記憶しています。
というのも、
今回の妊娠は始まりから本当に不思議で、
世の中の常識では説明がつかないような
生命の神秘を感じさせるものだったのです。
私の母は16年前に交通事故により
脳の中心部となる「脳幹」を損傷し
首から下一切の機能を失う
「四肢全廃」という障がいを負いました。
これは国で定められる最重度の等級に値します。
それから長い長い年月、
家族一丸となって在宅介護してきた母が
亡くなる2日前に娘の心拍が確認されました。
さらにその日母の面会に行くと
病室には兄も居て、
なんと兄夫婦も2週間前に新たな命の心拍を
確認したことを聞きました。
その2日後に母は命を引き取り
数ヶ月後、私たちはその新しく宿った命が
2人とも女の子であることを知ったのです。
そんな妊娠の始まりだったので
妊娠初期にあたる8週目から1ヶ月間は
母の死、葬儀、親戚中とのやりとり
たくさんの介護事業所、医療関係者へのお礼
あらゆる福祉サービスや公的機関への手続き
などが目まぐるしくたて続き、
16年という介護生活が終わったことへの
リアリティの無さや、
1ミリの後悔なくやり切った自負はあるものの
やはり母との別れは寂しく、連日の不眠。
ついでになんでこのタイミングで?っていう
年末に予定していた仕事案件対応などなど。
母体のコンディションとしては最悪だったと思います。
そうしてお正月を迎え
やっと一息ついた3が日に出血・・
切迫流産となってしまいました。
きっと、子宮内で出血している状態って
胎児からすると
ナイアガラの滝で命からがら振り落とされまいと
崖に指一本で掴まっているような感じなのかな
と想像するわけです。
まさに、
「ファイトー!!いっぱーつ!」
の世界です。
実は今回の妊娠は、
体外受精によるものだったのですが
5週目の妊娠判定の時点から出血が見られ
Dr.には「ちょっと継続は難しいかも・・」
と言われていました。
それでもなんだかんだ成長を続け
9週目には心拍確認。
12週にまた出血。
再び「ちょっと継続は難しいかも・・」
と言われつつも切迫流産を脱却。
その後も
「少しサイズが小さいかも・・・」
「35週までお腹にいられないかも・・」
と言われつつも心配をよそに
結果的には生産期の39週まで
しっかりお腹に滞在し生まれてきてくれたのです。
妊娠中から幾度の死戦をくぐり抜け
「無理かも・・厳しいかも・・」
と言われつつ着々と成長を続けてきたこの子は
相当に強い精神の子なんだろうと
ひしひしと感じてはいたのですが、
生まれた直後に左手のことを聞いた瞬間
なんというか・・・
妊娠中の出来事全ての伏線を回収したような
そんな感覚に陥ったのです。
「あぁ、選ばれたんだな」
と。
やっぱり思っていた通り
いや、私の想像をはるかに超えるほどに
とてつもなく強い運命を背負って来た子で
きっとこの左腕のハンデを通して
不便さの先に見出すことのできる世界を
切り拓いていくのだろう、
私たち両親もまた学ばされるのだろう、と。
何不自由ない世界では
どうしても見過ごしてしまうような
些細なできごとに気がつける
「豊かさ」を
育んでいくのだろうと思います。
でもきっとその過程では
彼女はたくさんの涙を流し
悔しい思いや、
心無い言葉もかけられるかもしれないけど
私の娘なので、
そんな奴らには
右手でカウンターパンチをかまして
華麗に飛び蹴りを喰らわすんだと思います(笑)
#令和には不適切
多分、この地球上の生命体の
なんらかのバランスを保つために
一定の確率で誰かが担わなければいけない試練を
君が、見込まれ託された。
でも大丈夫。
なんの宿命か君のお母さんは
介助やサポートのエキスパート。
その難易度は
君のおばあちゃんの足元にも及ばない(笑)
できないことは何もないし
理不尽なこと、
不便な社会には共に声を上げていこう。
そうやって少しでも世界を優しくするために
私を選んで生まれて来たんだね。
美ノ匠ファウンダー アスリートとモデルの最高峰を経験した実績を生かし、予防医療としての美容や心身ケアの重要性を広める、美のプロフェッショナルメディア「美ノ匠」を立ち上げる。300件に及ぶサロン体験や美容家取材を通して培った確かな情報を元に「これはおすすめ!」というサービスばかりを紹介しています。
バレーボール日本一、元パリコレ出演モデル。
25歳で訪れた介護を機に働き方改革。
WEBマーケティングを学び26歳で起業。