不妊治療を振り返る 【後半】

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35歳目前で不妊外来をノックした矢先

妊娠が発覚したものの、

2週間後に流産宣告をされた私。

そこから本格的な不妊治療と

向き合うことになりました。

と言ってもこの段階ではまだ

「体外受精」には抵抗があり

とりあえずのタイミング法を3周期くらい。

 

知らない方のために説明すると

妊娠が成立するタイミングというのは

実はとっても限られており

生理開始から約2週間後の排卵日のみ。

絶妙なタイミングで

全ての条件が揃った時に成立するのです。

きっと若い頃はその確率も高いのでしょうが

年齢を重ねれば重ねるほど

針の穴に糸を通すような精度。

なんとなくではわからないその瞬間を

子宮の状態を診てもらうことで

なるべく精度を上げていくというものです。

 

そうして生理周期3回分

つまり3ヶ月かけて

タイミング法を試したところ

3ヶ月目に再度妊娠。

しかしまたもや初期の流産という結果に終わりました。

もうこの辺からかなりメンタルが崩れてきます。

三度流産すると医学的には

妊娠はするけど子宮で育たない

「不育症」と病名がつくらしく、

なんだか大きなレッテルを貼られる気分になります。

なんとしても三度目は避けたい・・・

その頃コロナが訪れ

世界中が閉鎖的な社会に突入するのでした。

 

二度の流産を経て

ますます妊娠願望は高まります。

それでもまだ体外受精には抵抗が残る。

次のステップとなる

「人工授精」に移行したのでした。

 

〜 説明しよう☝️ 〜

人工授精とはタイミング法との併用で

排卵直前の妊娠確率が上がるタイミングに

自然性行ではなく

あらかじめ採取した精子を

注射器で人工的に子宮内に注入すること。

事前に精子を確認し、

運動能力の高い子たちを厳選できるのが

メリットなのである。

 

というわけでこれも試すこと6回。

全て空振りに終わるのでした。

 

 

一度流産すると次の妊娠に向かうには

生理3回分のお休みを設けないといけません。

つまり私の場合だと、

 

一回めの流産→3ヶ月お休み

タイミング法3ヶ月間

2回目の流産→3ヶ月お休み

人工授精6ヶ月間

 

はい、もうこの時点で1年半が過ぎています。

35歳目前で初めてドアをノックした日から

あっという間に37歳を目前とするのでした。

 

もうこうなると

「体外受精に抵抗がー」

なんて呑気なことは言ってられません。

どんな形でも妊娠は奇跡!!

人工的に選出された精子と卵子だって

ある意味すごい競争を勝ち抜いているんだから。

 

そんなこんなで

それまで通っていたレディースクリニックでは

人工授精までしかできないとのことで卒業。

ガチの不妊治療を行う

高度生殖医療機関へと病院を変えるのでした。

悩みに悩んだ結果、

病院は「杉山産婦人科」新宿院に決めました。

結果的には不妊治療だけでなく

第一子の分娩までお世話になったので

私はここにして本当に良かったと思っています。

 

今まで通っていたレディースクリニックから

杉山産婦人科に移ると

この1年半の不妊治療は全然序の口というか、

変な抵抗せずはじめからここに来ればよかった

時間を無駄にしてしまった、と思いました。

でもそれも全て経験してわかること。

 

それでも

「ここなら人工授精でも結果でるかも?」
(懲りない↑)

と4〜5回は試してみたものの全て空振り。

いよいよ腹を決めて体外受精に移行するのでした。

 

体外受精になると

タイミング法や人工授精とは

金額も治療内容も

話のレベルが違ってきます。

 

そもそも自然排卵に至るまでには

(個人差はありますが)

通常複数の卵予備軍たちがいるわけですが

その予備軍たちが淘汰され

最終的に残った一つが排卵日に排出されます。
(双子とかじゃなければ)

でも体外受精の場合

この貴重な予備軍たちも淘汰される前に

採取しちゃいましょう。

ついでにホルモン投与の力を借りて

予備軍たちの数を最大限増やしてから

採取すれば卵をたくさんゲットできて

受精のチャンスが増えるじゃない✨

というものです。

 

その「排卵促進剤」を投与するには

タイミングが超重要!

時間厳守のため

自宅で自分の腹に注射を打ちます。

そうやって数を増やした卵たちを

麻酔なしで子宮に針を7回ほど

ブッ刺され採取した

「採卵」

の工程は、想像以上の痛みで、、、

個人的には出産以上に嫌ぁ〜な

鈍ぅ〜い痛みとして

記憶に残っています。

出産は喜びを伴う痛みだからね。

 

「なんでこんなことをしないといけないのだろう」

 

あちこち注射さして、

いろんな薬飲んで、、

通常は快楽と共に至るのが妊娠。

そういうふうに太古の昔から

生物の子孫繁栄は成り立ってるんでしょ?

なのになんで痛みの連続?

痛いのは子宮だけじゃない。

そんなことまでしてるのに

一向に妊娠しない憤り。

虚しさ。

残酷に経過していく時間。

必死で積み上げてきたのに

中途半端に置き去りにしてきたキャリア。

総額いくら?っていう高額な費用。

頑張っても結果が出ない。

いつまで頑張ればいいのか

何を頑張ればいいのかも

もはやわからない。

 

痛いのは心だ。

何より心が痛いんだよ・・・

 

ボロボロの心と体を引きづりながら

コロナの影響もあり

時々お休みしたりもして2年ほど通院し

2回目の体外受精で息子を授かることができた私。

これは体外受精としては全然早くに結果が出た方で

ラッキーだったと思います。

 

そうして3年と10ヶ月の月日が経ち、

39歳の誕生日を目前としたある日

長い長いトンネルに

ようやく光が差したのでした。

 

あの時間はこれまでの人生で一番の闇だったかも。

25歳で実母が事故に遭い

重度介護に直面した時も

私はあらゆる行動をして

在宅介護できる最高の環境を整えていった。

もはや務められないならと、

自分の時間で働くため起業もした。

いつもいつも行動して最良の道を作ってきた。

 

なのに、不妊だけは・・・

努力のしようがない。

ただ淡々と病院に行くだけ。

頑張りたくても頑張りようがないってのは

本当にもどかしく辛い体験でした。

 

結果的に2人の子に恵まれたので

「全ては良い経験だった」

と今は思えるけど

もし結果が出なかったら

どう自分を取り戻していったかわからない。

それでもどうにか前に進むんだろうけど。

心の底から笑えなかったかもしれない。

 

私は自分を結構強い人間だと思っていたけど

不妊治療はそんな人間でもメンタルをやられる

なんとも形容し難い経験。

スカスカのサンドバッグを殴り続け

ゴールの見えないトンネルを歩き続け

ボロボロの心と体は傍目には理解されず

ただ時間とお金が費やされる。

経験したものにしかわかりえない

無情の日々なのです。

 

今では保険適応になった部分もあるけれど

まだまだカバーしきれていない。

「適齢期を見過ごしてきた自己責任では?」

「そこに税金を使う意義があるのか?」

なんてトンデモ発言をした

自分はすんなりと授かることのできた

女性議員もいたけれど、

たまたま恵まれていただけってことに

経験していないと気がつけないもの。

 

だって子どもは宝でしょう?

子どもこそが未来でしょう?

子どもが産まれなかったら

この国は衰退する一方ですよ。

 

自分の体をボロボロにしてまで

妊娠にトライする意思がある人には

もっともっとサポートがあっていいし

男性も女性も、

もっと理解を深めていきたい事柄。

 

とりあえず、今立ち向かっている方

本当に偉い。

本当に頑張ってる。

代表して体張ってる。

むしろありがとう。

全国民に感謝されていいことに

あなたが立ち向かっているんだから。

 

 

 

 

 

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