私のしてきた選択

もう17年になる。

私が社会の最小コミュニティである

「家族」

に軸足を置く歩き方をし始めてから。

 

17年前、

私が25歳の時に母が交通事故に遭い

なんとか命は食い止めたものの

障害一級、要介護5

というこの国で定められる

最も重い程度の身体障害を負った。

 

徐々に歳を老いていった親に対してなら

何か違う方法も取ったかも知れないが、

まだまだ現役バリバリで

つい数日前に口喧嘩別れした母が、

ある日突然

目を覆いたくなるような姿で

目の前に現れたもので、

施設に預けるとか

そういう選択肢は微塵も湧かなかった。

 

「絶対に復活させてやる!」

「最高の医療を受けて、最高の介護をして

 家族一丸となってどうにかしてやる!」

 

そうやって必死に

無我夢中で毎日を走り続けて

気づいたら15年と9ヶ月。

あらゆる手法を凝らして在宅介護を全うした。

残念ながら身体の自由は戻らなかったが

あの日命が尽きてもおかしくなかった状態から

随分と長い間

時には旅行などにも行けるほど

良好な状態を保ち続けたと思う。

そのこと自体は本当に誇らしいし

自分の選択に後悔をしたことは1ミリもない。

 

ただ、時々ふっと何かの拍子に

「自分のために使ってこれなかった

 あまりにも長い、若かりし時間」

が、雪崩のように覆い被さって

上手く呼吸できなくなる時がある。

 

だってあの時私はまだ

25歳だったのだ。

 

気がつけば42歳。

確かに、確実に、

歳をとった。

 

母の終末期と、

妊娠出産が重なり

介護の終わりと入れ替わる形で

息子と娘の育児が始まったので

当然ながら子供が小さいうちは

やはり家族に軸足を置いた歩き方に

ならざるを得ない。

 

私の生活に育児が加わってから

まだ2年半程度と

そう長くはない時間なのだけれど、

自分の時間が自由に使えない

という部分では介護と一緒で

それまでの

「15年」

という時間が加算されてくる感覚が

どうしても拭えない。

 

だから

「もう17年か・・

とため息をつきたくなる時がある。

 

私の中で「キャリア」とは

山登りあるいは

螺旋階段を一歩ずつ登っていくような

そんなイメージがあって

1人でせっせと登れたのなら

どれだけ身軽で足早だろうと

羨ましく思う時がある。

そうやって颯爽と

登り続ける人生だったなら

今頃どんな景色を見ていたのだろうか

と思いたくなる時もある。

 

でも私はその選択をしてこなかった。

傷ついて身動きが取れなくなった家族を

背負いながら

可能な限りの時間で

ゆっくりでも

登ることだけは諦めない

そんな選択をしてきた。

 

一歩進んで下がる時もあったり

足踏みするだけの時もあったり

他人から見たら

登ってんだかどうかもわからない

そんな足取りかも知れないけど

自分のタイミングで

アクセル全開にできる時を伺いながら、

私がアクセル全開にしても

家族の誰もが困らない

そんなタイミングに狙いを定めながら

来たるその時のために

のろくても

歩みだけは止めない

そういう気持ちを無くさずに

今日できることを

できる範囲で

精一杯やるんだ。

 

そうやって心のどこかで

「くっそ!悔しいなぁ!今に見てろよ!」

って誰に対してでもなく

思いながら

今日も大量の洗濯物を回し

お乳をあげ

散らばったあれこれを片し

時短で栄養満点の食事を作る。

それが今の私が担うべき

1番の役割であることがわかっているから。

 

女は背負う荷物が多い生き物なのだ。

 

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